6人で。

先日、友達と6人でご飯を食べに行った。

私たちのうち1人が異性愛者で5人が同性愛者。

4人が飲食業従事者。

3人が美術館によく行ってる。

2人がアジアBLドラマ好き。

2人がかつて演劇をやっていた。

1人がチーズが食べられない。

どんな集団もそうだけれど、カテゴリーは1つじゃなくそれぞれで、おんなじ部分に話が弾み、違う部分に知る喜びを見出す。ほんとそれは、どの集団にも言えるよね。私からするとその友達たちは全員性格もそれぞれで、そしてみんなすごく面白くって優しい人たちだ。


店にいてよく思うこと。

例えば血液型の話をしているグループがいるとする。

「AB型ってさ、何考えてるかわからないし、どっか冷めてるよね」

AB型はよくそう言われる。ちなみに私はAB型だ。まあ私はそういう話が聞こえてきても笑えるだけで傷つくことはない。そのグループのところにお水を持ってくついでに「私、ABなんですよ」と言うときっとその人たちは気まずい思いをするだろうなと想像してちょっと可笑しくなるぐらいで。けれどもしかしたらその声が聞こえる範囲にいる別のテーブルの人が、なんとなくいやな気持ちになるかもしれないとよく思う。

OもAもBもABも、お喋りしているグループにはいなくてもある程度の人数が集まる空間にはほぼ全部いる。そういうことを忘れてちょっとdisっちゃったりすることってよくあるよね。私は、血液型の話はやめろ、とは思わないけれど、気付かずしてたまたま隣に座っている人を気まずい思いにさせたり傷つけたりすることがある、ということに、私たちはみんなたびたび気付くことが大切なんだと思う。

そういうことと本質は同じなのだと思うけれど、お店にいて、同性から思いを寄せられたらちょっと嫌だとか、異性愛者の自分と同性愛者とはなんの関係もないとか、本当にふとした弾みでそういう言葉がこぼれるのを聞いたりする。私の目の前で、何かの映画の話の流れでそう言う人もいる。その時、私はどう答えるべきか。とりあえず流して話を変えるべきか、私の思うことをやんわり伝えるべきか。いつも迷っている。

あれを言うなこれに触れるなと、そういうことは思わない。店の中は常にいろんな内容の会話で満ちている。そしてそこにはいろんな人が座っている。私自身、自分の発する言葉は、ほんの少しだけ離れた席にいる誰かを傷つけてはいないか。そんなことを時々立ち止まって考えないと、と思っている。

ロジウラのマタハリ春光乍洩

いい音楽といいごはんのカフェ。 名古屋市中区大須の小さなアジアンカフェです。